新年あけましておめでとうございます。
令和元年まで二代目代表を務めておりました稲垣です。宜しくお願いします。
少し古い話になりますが、当時を思い出しながら私自身の若かりし頃や、一ツ木剣道クラブの黎明期をお話させて頂きます。
私が剣道を始めたのは三河一宮中学校在学中の二年生の時です。この年GHQより禁止されていた学校剣道が解禁されたと認識しています。たまたま担任教師が剣道の有段者であり、『剣道を始めるがやりたい者はいるか?』と言われ即手しました。他のクラスを含め、10名程の希望者がいたと思います。
しばらくして地元で中学生が一般の人達と稽古しているのを知り、私も参加することにしました。そこは家から長く下った先にある幼稚園の講堂、自転車で約30分以上かかる所にありました。
広さは雁が音中武道場の2倍程、6名の中学生で雑巾がけをし、指導者の防具を並べ、先生が来られるまでは自主練をしていました。
稽古内容は切り返し、地稽古、かかり稽古で、基本稽古はしていませんでした。週1ながら3名から7名の先生方が来てくださいました。
ただ自認では、稽古より帰りの道中の辛さが多かったように思います。月夜以外は目を閉じたような真っ暗闇で、懐中電灯でやっと5メートル先が見える程でした。道は凸凹、振動で電灯が消え、何度畑や藪に転んだことか。1時間程かかってようやく帰宅し、やっと食事を取っていました。
ところが二年生の終わりに隣の市に家族で転居し、学校も転校しました。その中学校は3名程が運動場で素振りする程度で、通っていた道場へは2時間以上かかる所でしたので、続けるのは無理でした。残念ながら剣道からしばらく縁切れとなりました。
その後社会人となり、刈谷市の現住地に転居したことがきっかけで、第2の剣道人生が始まりました。
当時の班長会からの回覧で、地元に剣道クラブを立ち上げることを知り、いても経ってもいられず、早速子供と共に入会し稽古を始めました。ただ私自身もまだまだ未熟であった為、外部の稽古にも積極的に参加していました。
当初の一ツ木剣道クラブの指導者は県でも有名な実力者で、稽古は相当厳しかったように思います。残念なことに早くに亡くなったため、私が後を継ぐことになりました。何年か経ったころ、高校を卒業した加藤君がクラブに戻り、稽古に参加するようになりました。その後、時を経て現在の体制になっています。
一ツ木剣道クラブは、令和六年に創立50周年を迎えていますが、次の50年、100周年に向け、引き続き皆様のご理解とご協力を御願いいたします。